日々の生活の中で、お金を払う時に小銭を数えたり、道路で左右を確認したり、といった、何気ない動作は、自分がその環境に慣れ親しんでいるからこそ殆ど無意識に滞りなく行えるんですよねえ。
外国で、小銭に書いてある金額の数字が異様に小さかったり、下手すると数字書いてなかったり、50はないけど25があるみたいに数字のパターンが違ったり、金額の大小と小銭の大きさの大小が不規則に逆転してたりして、小銭数えるごときに四苦八苦したりすると、ああここでは自分は外国人なんだなあ、と思い知らされます。
外国で、頭では車が右側通行だと分かっていても、自分が車道を徒歩で横切る時の確認の仕方が完全に左側通行対応で、自分の仕草とは反対側から車が来たりすると、ああここでは自分は外国人なんだなあ、と思い知らされます。
外国に行くということの意味って、特にこんなギョーカイで仕事をしていると、国際性だの業績だの色々偉そうなコト言う人いますが、とどのつまり、外国の小銭って慣れてないから数えにくいよーとか、道路で右左右と確認するよう幼稚園で仕込まれたのは車が左側通行だからなんだーとか、そんな気付きでも十分なんじゃないですかね。
てなことを、スーパーのレジでお金払ったり、車運転したりするたび、考えてます。
いや、ダイガクのセンセーとは思えない腑抜けな考えですみません(苦笑