最近、お世辞にも成績が芳しくない学生さん相手に、苦手科目の補講みたいなことを担当したことがありまして。
事前に色々調べて、連中の苦手な箇所に大体の見当が付き、その後はゆっくりじっくり集中補修ということに(何かのCMみたいだなー
おう、おまいら、いいか、とりあえず演習形式じゃあ、当てた奴を前に出てこさせてみんなの前で問題解かせちゃる、みたいなノリと勢いです(苦笑
で、「はい、この問題は、xxxx番、○○さん」と当てると、思ったよりも素直に皆さん前にやってきます。
いや、みんな出てくるのを嫌がってもっとグズグズするのかと思ってたんですけどねえ、この段階で意外なリアクションというか。
ま、中には、当てた0.1秒後に「わかりませーん」などとほざくふてぶてしい奴もいますが、そこはひるまず「わかんないならヒントやるから、とにかく前に出て来い」というと、あっさり前に出てきます。
でで、横で、「はい、この問題はね、まずはこうするところから始まって、次にこう考えて、そんでもって・・・」とヒントを出して誘導していくと、あれほどテストで白紙同然だった問題でも、皆さんビックリするほどサックリと答えにたどり着くんですよねえ。
なんだー、みんなやれば出来るじゃーん、すごーい、先生心配して損しちゃったー、みたいな。
で、ふと思ったんですわ。
「本気でやればそれなりにできるはずの子」が、この期に及んで何故本気でやらないのか、そこが疑問というか。
こいつらと自分との違いは、世代と時代背景と教育・家庭環境と制度の違いといえばそれまでですが、そういう外側の違いを取り去った根本的な違いというのは一体どこにあるのだろうか、と。
ひょっとして、自分の抱えた目の前の問題を他人事だと思うから、出来ないだけなんじゃないかと。
そして、その根っこにあるものは、まだまだ甘えて構ってほしいだけなのではと。
そこへ、教員がほぼ1対1で構ってきたのでようやく、これは自分が今やらなければならないことなんだと、はっきり認識できたのではないかと。
まあ、確かにね、私も、学部生のころといわず院生になってからも、先生に構ってもらえたらそりゃ嬉しかったですよ。
だけど、構ってもらえないからといって、自分の抱えた目の前の問題を他人事と思うほど、トボケてもなかったですが(滝汗
ここまで考えてくると、なんか、連中がちょっと可哀想になってきましてね。
それまでは、いい年して、いい加減舐めた生き方してんじゃねえよ、ぐらいの印象が強かったのですが、ひょっとしたらそれだけじゃないのかも、みたいな。
これまで周りからちやほやされるのが当たり前だった結果こうなったのかもしれませんが、ひょっとしたら逆に、単にちやほやされるだけで、正しい意味では構ってもらえてなくて、不安を抱えたまま歳だけ食って、相手から受け入れてもらえることに今でも飢えているのではないかと。
そうなると、「コレってなんの役に立つの?」とか、「どうしてやらなきゃいけないか分からん」とか、「興味が無い」とか、そういうレベルのはるか以前、「構ってくんなきゃヤダ」って段階で躓いてるってワケですよねえ・・・
えーっと、ひょっとして、教えるときはそこから始めなきゃいけないんでしょうかねえ(滝汗
いや、なーんか、まるで小学校の先生の気分なんですが・・・てか、私ゃ教職取ってないんですが・・・
てゆーか、念のために申し上げますが、ここ、大学なんですけど orz